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アーバンアジアの時代「ジャカルタに見る新たな都市建設の試み」


 

 アジアでは今、伝統的な農山漁業などを中心とした社会構造から、商工業・情報産業を中心とした二次・三次産業の発展に適合した人口の移動と都市的生活形態への移行に対応して、アーバンアジアとも言うべき劇的変化が進行中である。そこでは過去の伝統的な形式を引きずりながらも今までにないスケールとスピード、そして新たな実験的試みが各地で繰り広げられている。

 インドネシア共和国の首都ジャカルタは、470年の歴史と約900万人の人口を有するアジアの大都市である。散漫で捉えどころがなく記述するに難しいといわれる街であるが、私自身が13年程前に1年間暮らした街であり、久しぶりに昨年は数回に渡って訪れる機会を得て、その変貌振りを直に見ることができた。

■建設が続く市中心部の高層ビル群

 ジャカルタの西郊外に移転統合された新空港から、昨年全線開通した高速道路を通って街に入って目に付くのは、やはりここ数年のうちに建てられた高層ビル群だ。街の南を東西に横断するガトット・スブロト通り、それに直交しジャカルタの街の背骨となっているスディルマン通りとタムリン通り、それからラスナ・サイド通りからなる三角地帯は海側の市街地に代わって近年発展の著しい地域である。実に様々な意匠を凝らした高層の事務所ビルやホテル建築が通り沿いに立ち並び、さながらビルの見本市会場の感がある。13年前はルドルフの設計したダルマラビルが建設中で、その姿がスディルマン通り沿いに一際目立ったが、今は他のビルと肩を並べている。通りの反対側ではI.M.ペイ設計による地下3階地上32階建て、総床面積90,000m2のツインの事務所ビルが竣工間際だ。そしてこの完成を待たずにそのすぐ近くで同じくペイによるツインタワーの建設が西暦2,000年のオープンを目指して始まろうとしている。こちらは45階と62階建てのツインタワーと6層の商業施設、地下5層の駐車場からなる30万m2以上の開発になるという。

 市内には多くの工事現場があり、また計画中のプロジェクトも多いようだが、これら民間資本による開発に公共のインフラ整備が追いつかず、交通渋滞や停電、上下水道の整備の問題など多くの都市問題を抱えているという。ジャカルタの不動産事情を見てみると、ここ5年間に渡るジャカルタの新規事務所スペースの供給量は約120万m2であったが、1996年度だけでも17の新築事務所ビルが完成され約59万m2の事務所スペースが生み出されると言う。毎年約20万m2程度の新規事務所スペース需要があると見込んでも、これからしばらくは供給が需要を上回りかなり厳しい競争の時代に入ることは確実だ(Properti Indonesia)。事実、主要な事務所ビルの賃貸価格も1990年のピーク時のUS$23/m2から1996年にはUS$14/m2まで下落している。

 


「馬車道マルシェ」人力車や馬車に試乗できる。 現在の馬車道(旧横浜正金銀行/現神奈川県立歴史博物館前)
写真左:古い町並みの向こうに高層ビルの建設が進む(中央はルドルフ設計のGedung Dharmala)
写真右:ジャカルタ中心部に聳えるKota BN146

 

■郊外に展開するニュータウン建設

 滞在中の昨年9月にジャカルタのコンベンションセンターにてアルカシア大会が開かれ、ジャカルタ首都圏のさまざまな都市開発事例が報告されたようだが、同時に隣接した会場では一般市民を対象にした一大不動産見本市が開かれていた。会場には102のデベロッパーによる195件にのぼる、コンドミニアムや商業施設、そして大規模ニュータウン開発が、畳何畳もの大きな模型と共に所狭しと陳列され、熱気に包まれた会場からはまだまだ活発な不動産開発の動きが見て取れて興味深かった。

 ジャカルタ首都圏においては民間のデベロッパーにより大規模な不動産開発が進んでいる。特に高速道路などの広域道路網の整備によって、開発は市域を越えてジャボタベック(Jabotabek)と呼ばれるジャカルタ近隣の市まで含んだ地域に面的に広がっている。

 その一つ、チトラ・ラヤはアートをテーマとしたニュータウン開発で、大手デベロッパーであるチプトラグループによるものだ。1994年にジャカルタの西に隣接するタンゲランに約1,000haの土地を得て、その北側地域から建設が始まっている。そのコミュニティ・デザインの象徴とでも言えるのが入口に建てられた壮麗なネオ・クラシカル様式のゲートである。アメリカでも20世紀初頭のエクスクルーシブなコミュニティデザインにおいて、入口にこのようなゲートを設けた例があるが、ここのゲートは通行自由だ。ニュータウンの中は幹線道路沿いに3階建ての地区商店街が一部営業を開始しており、その背後に長屋形式の住宅や戸建て住宅の建設が進んでいる。ビヴァルディやベートーベンなど芸術家の名前が付けられた住宅は180m2程度の土地に120m2前後の建坪で、日本円に換算して850万円程度の価格が付けられている。政府の方針としては1:3:6制(それぞれ高所得者、中所得者、低所得者向けの住宅建設戸数)と言う不動産開発に適用する制度があるそうだが、その低所得者向けの住宅はどこに建設されているのだろうか。

 リッポー・カラワチはインドネシアの財閥の一つであるリッポーグループの不動産会社により1992年に建設を開始された、最終居住人口約80,000人、面積約500haのニュータウンで、ゴルフ場を中心にして、それを取り囲むように施設の整備が進んでいる。ジャカルタの中心部より約20qほどに位置し、ハイウエーのインターチェンジに隣接しているアクセスの良さからか、既に多くの住宅建設が進み人々が入居している。ここでは商業施設や、ホテル、350床の病院、高層の事務所ビル群がら学校までがきわめて短い期間に建てられ、既に近郊型サテライトシティーとしての体裁を整えつつある。中でも目を引くのが建設中の42階建てと52階建てのツインの超高層コンドミニアムと、既に営業を始めた巨大なショッピングセンター(スーパーモール)である。

 


「馬車道マルシェ」人力車や馬車に試乗できる。 現在の馬車道(旧横浜正金銀行/現神奈川県立歴史博物館前)
写真左:チトラ・ラヤへの入り口に建てられたネオ・クラシカル様式のゲート
写真右:リッポー・カラワチ内の住宅

 

■巨大化するショッピングセンター

 スーパーモールは7,000台収容の屋内駐車場の上に広がる21万m2の規模を誇る、現在インドネシア最大規模といわれる郊外型ショッピングセンターだ。核テナントとして国内の大手デパートの他、J.C.ペニーズやウォールマート、トイザラスなどが入っている。7つの映画館があり、空調完備した屋内モール空間を延長360mのローラーコースターが飛び回る。天空に穿たれたスカイライトから降り注ぐ光の下の巨大なフードコートは千席の客席を備え、入場客の多さも合わせて圧巻であった。

 ジャカルタには既に30ヶ所以上の大型ショッピングセンターがオープンしており、その1つであるチトラランドだけでも毎週25万人以上の客が訪れるという。ショッピングセンターは市民にとって娯楽の場でもあり、またそれだけの消費を形成する経済力を持った中間層が増えてきたという事か。たしかに、ジャカルタ市民の生活環境は随分と変わったし、消費生活も向上したようだ。街のスーパーはアメリカや日本のものとさして変わらないし、オフィス街は驚くほど洗練されてきた。豊富な商品と施設の充実、高級化に伴って、政府もシンガポールに対抗できるショッピングデスティネーションとして売り込みに懸命だ。

 


「馬車道マルシェ」人力車や馬車に試乗できる。 現在の馬車道(旧横浜正金銀行/現神奈川県立歴史博物館前)
写真左:モール中心部にある巨大なフードコート(スーパーモール)
写真右:屋内モール空間を飛び回るジェットコースター(スーパーモール)


 

■都市機能の移転問題

 マレーシアではプトラジャヤと呼ばれる新しいガバメント・シティーの計画があるが、インドネシア政府も最近ジャカルタ南東約50kmのジョンゴルに政府機関の一部を移転する新都市開発計画を発表した。都市機能の移転はデポックヘのインドネシア大学など教育機関の移転がすでに終わっており、ジャカルタの交通渋滞や環境汚染、雨期の広範囲な洪水の状況を考えると、政府機関の移転の話も頷ける気がする。

 東南アジアの都市は今まで貧困とスラムなどの問題が取り上げられることが多かったが、これからは地域の目覚ましい経済発展と共に展開する、アジア流の新しい都市づくりの試みにも注目していきたい。

          <米澤正己, AIA,RIBA,JIA会員、(株)パシフィック・デザイン・システムズ>



  写真撮影は全て米澤正己によるものです。無断で複写・転載することを禁じます。
この原稿はJIA日本建築家協会関東甲信越支部「JIA Bulletin 1997年3月15日発行号 海外レポート」に「アーバンアジアの時代/ジャカルタに見る新たな都市建設の試み」として掲載されたものです。